すごろく系のボードゲームは、駒を進めるためにサイコロを使います。
例えば、すごろくでサイコロを使わずに駒を進めるとどうなるでしょう。
各プレイヤーは、すごろくの目的であるゴールに向かって、1番多く進める6を繰り返すか、都合のいいマスに止まるために、そのマスにピッタリ止まれる数値分だけ進めるでしょう。
サイコロを使わないと、各プレイヤーの計画どおりゲームが進んでしまいます。
何回プレイしても同じ結果しか出ないので、すぐに飽きてしまいます。
そこで、サイコロという1〜6の数値をランダムに出せる装置を使うことで、プレイヤーの思いどおりに駒を進めることが出来ずに、止まりたくないマスに止まってしまいペナルティを受けてしまう等、思いどおりに進めないことでゲームに盛り上がりが生まれます。
サイコロが生み出すランダム性の弊害
サイコロによって、すごろくは盛り上がるボードゲームとなっていますが、その代わりにプレイヤー自身が色々と考えて行動を決める計画性が犠牲になってしまい、完全な運任せなゲームに変わってしまいました。
日本では、運任せなゲームの方が重宝される傾向が強いようですが、ボードゲームの本場のドイツでは、運だけのボードゲームはなく、プレイヤーに考える余地を与えるボードゲームがほとんどです。
運だけのボードゲームは、お正月等で全くボードゲームを遊ばない人が沢山集まった時には、ルール説明が簡単で適度に盛り上がれるので楽しいのですが、何回もリピートするとゲーム性の薄さからすぐに飽きるつまらないゲームとなってしまいます。
サイコロはランダム要素が多過ぎて好きになれないと、常々思っています。
すごろくなんかは、サイコロの出目次第で勝敗が決まりますが、そこには戦略や戦術といった思考の果ての結果ではなく、ランダムに決められた結果なので、勝っても負けてもつまらないし、次はプレイしたら勝てるみたいなものがないのです。
私はボードゲームは思考のゲームだと思っているので、いかにボードゲームからランダム要素を取り除くことが出来るか、アイデアを練っていて、サイコロをなくすのも、サイコロ自体の存在が駄目なのではなく、ランダムに決定され思考の余地がないのが好きになれないのです。
まとめると、サイコロを使うことでランダム性が生まれるが、その変わりに思考性が失われ、ゲームが簡単で単調なものになってしまいます。
サイコロを使わないボードゲームについて考える
私がサイコロを使うボードゲームが好まないのは、考える要素が極端に少ない点です。
ボードゲームの楽しみのひとつに、ゲームのルール内でプレイヤーが出来ることを考え、
あれこれ最適な行動を選んでいく思考性があります。
あれこれ考えた結果が、ゲームの勝利につながれば格別の高揚感が得られます。
テレビゲーム等で、華麗なボタンさばきで強い敵を倒した時にも得られる喜びにも通じるものがあるかもしれません。
確かに、サイコロを振り6が連続に出てゴールした時も高揚感は得られますが、自分の力ではない感じがしてしまいます。
では、サイコロを使わないすごろくを考えた場合、どのようなものが考えられるのでしょうか。
駒を進める方法を、数字カードにしてみてはどうでしょうか。
1〜6までのカードにし、各プレイヤーは自分の手番がきたら好きなカードをだし、進むことが出来ます。ただし、一度つかったカードは残りのカードを使い切るまで使用不可になります。
このルールなら、プレイヤーにカードを出す順番を考える思考性が生まれ、何手か先まで想像することで、有利に駒を進められる思考型のすごろくになります。
ただ、止まったマスが普通のすごろくの様に、3マス進む、2マス下がるといった単純なものにしてしまうと、カードを出すパターンがプレイヤー全員一緒になってしまいかねません。
止まったマスのイベントを、隣のプレイヤーのカードを奪うとか、特定のカードを持っていた時だけ有効になるイベントにする事で、思考の幅が拡がります。
さらに、ひたすら前進するだけでなく、手札カードを使い下がることも出来る様にルールを追加すると、より楽しいかもしれません。
サイコロを使わないボードゲームをさらに考えてみる
結局のところ、サイコロの代わりににカードだったり、トークンと呼ばれる小さな駒を使うだけで、なかなか新しい発想は生まれてきません。
ドイツなんかでは、ボードゲームデザイナーが表彰されたり、職業として成り立っているにも関わらず、本当に斬新なアイデアは出てこない現状を考えると、ボードゲーム素人がいくら考えても、良いアイデアはすぐには生まれないですね。
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